え~ 400字かよ?
800字位はないと…何も伝えられないっしょ。
ブツブツブツ…
反面、文字数が少ないのでいつでも書けるわ!と、ちょっと侮(あなど)ってはじめたこのコラムも、回を重ねるたびにドンドン難しくなって行くのはどうしてだろう?と思いつつ、いくつか貯まったので掲載をはじめました。シリーズ・テーマは特に無く、それぞれの季節と時事(爺)の小言っぽいことも若干入れつつ…
※三角山放送局発行の小冊子「マガジン762」は、琴似地区周辺のスーパー・ストア(例えばマックス・バリユーさん)などに置かれています。
私のコラムは終了しました。
戦後70年…
僕は1945年(昭20)12月生まれだから、今年年末に満70歳になる。この年明けから、新聞、TV、雑誌が「戦後70年、節目の年…」といいはじめて、今年は僕自身がその言葉に背中を押されて、これまでに「残された時間」が改めて気になっている。健康寿命、免疫力、介護、認知症、病気の宣告、孤独死などなど…日頃、聞こえてくる老齢社会を憂う言葉が、身近な現実としていよいよ迫ってきた!という実感が、正直なところだ。男性の場合、健康寿命が72歳(あくまでも平均)といわれると「おいおい…早い話しが、そろそろ「身終い(みじまい)だな」である。周囲は「いゃ、まだまだでしょ」などと無責任な発言を飛ばすが、笑い話しではない。
そういえば、この国も戦前までの日本を捨て、アメリカの庇護のもとに70年。「戦後の身終い」なのである。国際関係、少子老齢化、人口減少、限界集落、年金問題…すべて「身終い」なのである。
いま「北海道」って、がっさいよね!
ここのところ「北海道」と名のつく企業や組織が、非難をあびている。人気がない。具体的には「○○北海道」や「北海道○○」であるが、その他の「…北海道…」は、どうなのか? 私の勝手な推測では、明治の開拓使から今日までの約145年間の中で、長く国の金(税金)でやってこれた(または独占的に)という緩慢さと、基調として続いてきた人口増が、ここにきて、今までとは真逆の趨勢「少子・高齢・人口減」の基では、頭の切り替え能力が必須である。だから当然「対極を踏まえたすべての点検」を、いま徹底的にすべきなのだろう。北海道は、明治の国家予算の25%を使って造られた。特に札幌は、稀に、国の金ではじまった都(薄野ですら…)でもあった。もしかして? そのDNA(誰かが何とかするでしょう)が、今日の社会の隅々に(目立たなく)まだ巣くっているのではないだろうか。短い歴史の島だからこそ、方向転換は可能なのだ。新しい発想も受けやすいのだ、と思う。
そうだ、図書館にいこう!
ここのところ書き物に向かっている。舞台は明治中期の札幌と小樽。題材は僕の母方の祖父が(15歳で)新潟から小樽へ渡り、明治後期に札幌に出て小さな店を開くという、明治・大正・昭和(終戦直後までの予定)の物語だ。この間に、日本とこの地で何があったのか、家系の孫たちに伝えていこうという魂胆だ。
超々高齢になってしまった母や叔母の、おぼつかない記憶の断片を繋いではみたが、正確な資料がないので物語として書き進めていくには、今ひとつ実感が湧かない。そうだ、当時の地図(写真も)があれば…と思い立ち、半信半疑で、まずは札幌中央図書館(郷土資料室)に…ありました。折り目がボロボロになった明治24年(1981)の札幌大火直前の市内地図が。
親切丁寧に要望に応えてくれた係員の方、ありがとう。そして小樽図書館・博物館と琴似山の手図書館にも。図書館や博物館は物語の宝庫なのだった。ここから一気にイメージが開けて書き進んでいる、僕の今日この頃である。
2014年春/36号
嗚呼…ボクには時間がないのだった!
2012年夏に発表された(2010年の調査統計)時点での、日本人の平均寿命は(男性)79.74歳(女性)86.41歳と報告されている。世界一なのだ。ただし「健康寿命」という数値もあって、これは日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと。平均寿命から介護期を引いた数字が健康寿命になる。同時期にWHO(世界保健機関)が発表した日本人のそれは、(男)70.42歳(女)73.62歳であったとのこと。
この国(及び報道機関)は、わりと調子のよい数字しか発表しない体質なので…ここで一つお願い。「平均寿命」と同等に「健康寿命のデータ」も、ドーンと大きく表現して欲しい。「平均」と「健康」の差の実態もよく知りたいし…。特に中・高年者にとっては「健康寿命」の方が重要な数値だから。とすると、ボクの「健康寿命」はあと2.42年。えっ!マジで?(あくまでも平均ということで…)毎日の食事・運動・睡眠のバランスを整えて、頭も身体も元気で生活しよっと。
2013年冬/35号
かるいぞ、よのなか。
ほら、11月に発覚したホテル・レストランやデパートの食材(エビ)のメニュー虚偽表示?誤記載?問題。う~ん、何とも“格好悪くて恥ずかしい事件”ですよね。(いい歳の大人がペコペコしたりして…)エビは産地やサイズ違い、天然物か養殖物など、いろんな種類がありそうで話しがややこしい。というか…でもやっぱり面倒でも手間がかかっても、正直に正確に伝えながら商売をする、のが基本でしょう。(たかが部分的な食材原価のことで、ガッサイぞ!)
そんなゴタゴタの中で、とくに腹がたったのは、牛肉に脂を機械で別注入して、“霜降り高級ステーキ”として出していたという偽装肉。そんなモノが世の中にあったんですね。ビックリしましたね。誰が必要として、誰が造ろうとしたのでしょうか?この、寒~い発想は。日本人の常識と平均的感性からすると、最低のセンスですよね。偽装霜降り牛肉。
そしてさ、“軽くペコペコ謝るの”止そうよ。ったく、もう!
2013年秋/34号
為せばなる 為さねばならぬ 何ごとも……
いまから2年前の夏に、糖尿病を悪化させ“両足底に痺れ痛が出て緊急入院した。(40歳代から血糖値が高く警告されてはいたのだが…どこも痛くないので甘くみていた。)退院後一呼吸してからリハビリのため、アスレチックでランニング・マシーンとプールでの水中ウォーキングを、1年半ほど続けている。はじめた頃は身体全体も弱っていたようで、マシーンで歩く速度はゆっくり歩きの4.0km/h(30分)が限界。それが現在はピョンピョン小走りの6.4km/h(30分+水中歩き20分)へと進化した。(まさか小走りができるようになるとは…)
運動力の進化と比例して症状も少しづつ回復している。有難いことだ。僕のこの運動習慣は身体の動く限り、終世続けることになる。
さて、己の経験と反省から提案。「40歳の誕生日には、徹底的に生活習慣病をチェックしよう!」数値が悪く出ても、若いうちは修正回復が容易であろうから…。ついでに暴飲暴食にも気ぃつけようね。
2013年夏/33号
「暴力」のこと、ちょっとだけ知った事件。
今から55年前、僕が琴似中一年の時、クラス担任の熱血S先生がホームルームで、深刻な顔で何かを話した後に、いきなり太い棒切れで自分の腕を叩きはじめた……?。生徒たちは何?何?何?一瞬シーンとなり、この恐ろしい情景に俯(うつむ)きながら、全員一斉に泣きじゃくった。先生も泣いていた。
S先生は、何かをしでかした男子生徒を、いきなり素手で殴ったらしい…。その後に冷静になったのだろう。たぶん事の軽さとか、その時激情した状況を反省して、このような行動になったようだ。生徒のほとんどが事の内容を理解できなくて、“衝撃的混乱の時間”だったことだけを記憶している。
昨今この国では、いじめ自殺とか指導者の体罰とか、家庭内暴力とかが大きな問題になっているが、昔は殴られることが普通にあって、おおよその大人も子供も、“ここまでは良いとか悪いと自己判断”してたんだけどな。日本全体が『イライラ陰湿』になってるんだよ。きっと!
2013年春/32号
モノの豊かさの実感、ボクの場合。
ボクは子供のころから鼻が弱い。大人になった今も年に数回、朝起きた途端に、なぜか急に鼻水が溢れ出ることがある。鼻の奥にカゼ菌が付着したか、カビのような何かが悪さをするのだろう。(花粉症ではないです)こんな状況で最も世話になるのが、ティッシュ・ペーパー。サッサッサッと思う存分、気にせず使える。あっ、それって…ありがたいなぁ…本当にそう思う。
日本でティッシュが発売されたのが、ちょうど50年前の1963年頃のようだが、当時のボクの家では、その手の紙は“茶チリ”といってガサガサした平紙だった。それで何度も鼻をこすったもんなら…その昔と今の差を思い起こすと、たかがチリ紙、夢のようだ。
スーパーには「好きなだけ使ってください!」と山のように積んであり、5箱で280円、一箱56円!。これが豊かさの象徴でなくて、何が?…たま~に、そう思う。
2012年冬/31号
やや不快感あり!
今年の夏から、2種類のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に参加してみた。
約35年前に知り合った何人かの人々と、あらためて接触できたり、近くにいても無沙汰の方々と久しぶりに連絡が取れたり…めっきりと出歩かなくなった僕(初老男)には、ヒマつぶしも兼ねて、それなりに面白い世界でもある。が、ここのところ不快感も増えた。一人が立て続けにアクセスしてくる。朝・昼・夜の個人的な話題など…。「この世界そんなもんですよ!」という向きも多いが…?多分これはスマホの急激な普及で、いつでもどこからでも発・受信できる便利さの弊害なのでしょうね。
重ねてこんな言葉を思い浮かべた。「許容範囲」。
文字どうり“許容できる範囲のこと。“許したり認めたりすることができるレベルであること。”の意味である。
SNS…少しはソーシャル(社交)の意味合いを自覚しつつ利用したいものだ。でないと、その人のお里が知れる。
2012年秋/30号
音楽を買うこと
僕は1945年生まれだ。自分の小遣いで“音楽を買う”という行動は、14歳の頃、ラジオとレコード・プレーヤーが一体となった“でっかい箱形電蓄”を、おじさんから貰ったことから始まる。
ラジオでかかって一耳でビビッときた音楽。その毎日聴きたいと思う(女の子への一目惚れのような…毎日逢いたい、忘れられない…)音楽の、当時330円のシングル盤をグッとツバを飲み込んで、意を決して買ったものだ。それからの50年間、LPレコード、テープ(カセット)、ウォークマン、CD、MDなどへの進化?と共につきあって、いまはPCからダウンロード?録音はUSBだって?…
いまの僕は、月に一度程度に1枚250円~500円の廉価な中古CDを、一気に15枚ほど(あくまでもコンピレーションのみ)買って、全曲 ipodに入れて好きな曲をセレクトしたり整理したり。カヴァー曲がチェックできたり、ラジオ番組の構成にはとても便利なのだが。
音楽一曲一曲の価値観が、何だかな…
2012年夏/29号
ちょっきり50年前のこと…
かつて僕らが少年または青年期を過ごした1960年代が、あれから半世紀・50周年を迎えている。今年2012年の50年前は1962年(昭37)。この年には何があったのだろう…
◆日本は池田首相の高度成長政策と、2年後の東京オリンピックを控えて、経済の急速な発展途上中。東京都の人口が世界初の1000万人となっている。◆アメリカはケネディ大統領時代。彼の誕生祝賀会(5/19)でハッピー・プレジデントを艶っぽく歌ったマリリン・モンローが、その3ヵ月後に推定自殺(8/5)している。そしてキューバ危機。(11/22)◆イギリスでは、ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」で正式デビュー。(10/5)ストーンズもこの年に結成されている。◆アメリカ製のTVドラマ、“ベン・ケーシー”や“コンバット”の放映スタートも1962年だった。◆僕が担当している番組「オールディーズ…」では、この年に起った出来事を、この夏から秋にかけていくつか取り上げようと準備している。あっ!という間の50年でしたね。
2012年春/28号
中高年男性のメタボ比率
この冬から、血糖値コントロールの運動療法と、足の痺(しび)れからくる足腰の筋力回復をめざして、リハビリのためのアスレチック通いを続けている。このような中で面白いデータを発見(?)したのでメモしておこうと思う。双方とも裸になるアスレチックの風呂と、いわゆるスーパー銭湯(温泉)での“中高年男性のメタボ比率”だ。(見た目、50歳以上に限定、3回数えた平均値)結果のメタボ含有率は、『アスレチック風呂10%対スーパー銭湯60%』であった。「そりゃそうでしょう!」と云われそうだが…こんなに違うとは面白い。ちなみにアスレチックで食事は出来ないが、スーパー銭湯では「どんどん食べてください!」とある。メタボ比率の女性のそれは、どうなのでしょうかね?
僕は幸い、食生活のカロリー管理と運動療法によって体重コントロール(68→62kg)は成功して、お腹がスッキリした。そのために、15本ほどある過去のジーンズは、すべて捨てることになるのだが…。
2012年冬/27号
“食べること” について
今年の真夏に持病の糖尿病の悪化で21日間ほど入院した。
40歳台から警告されていたが、日常では“どこそこが痛い”という辛い症状がなかったために、気にはしていたが甘くみていたのだ。
足にシビレがきた。
病院ではまず血糖値の数値改善という訳で薬事療法と食事療法が主だが、同時にこの病気についての頭(脳)の切り替えと、正確な知識を前提にしたカロリー計算をはじめとした栄養士さんの学習もあった。(ここではこの顛末を紹介することは省きます)
退院後の自主管理と学習から、いままでは深く考えなかった毎日毎食の“食べること”についてずいぶん反省しつつ、食事と身体の動く仕組みまで勉強した。いまは「何か美味しいものとか、久しぶりにあれが食べたい…」という気分から食事のメニューを決めることはなく、まずカロリーと栄養素からスタートしている。みんなから“辛そうだね”と云われるが、もうすっかり慣れてしまった。
本来は健常者もこの食事法が正しいのだと…。
みなさんも時節柄、暴飲暴食に気をつけてくださいな。
2011年秋/26号
北海道の財産は!!
昔、プレゼンテーション企画会議の場で、「ところで…北海道らしさってシンプルに言うと、何だろうね?」という会話になった。様々な発言があって、共通の結論として「春・夏・秋・冬の四季(景観も)」、さらにその空間をつつむ「水と空気と土」と結論した。
僕はいま、改めてこの時の真剣な会話を頭の芯で反復している。
「水と空気と土」「水と空気と土」。
このかけがいのない自然の恵みを、一瞬に変質させてしまうものが「放射能という悪魔」であることが、この大震災でハッキリした。
だから、どんな理由があっても原発は要らないのだ。つい最近の21年前まで、原発がなくても生活をやってこれたのだから…。
25%の電力節電、どうなるか?やってみようではありませんか!かけがいのない「水と空気と土」が亡くなるよりマシと思うから。
話しがポンと飛ぶけれど…もしもフランスで事故があって、歴史あるフランス・ワインが飲めなくなるとしたら、世界がやっぱり悲しいよね。
2011年夏/25号
この夏は “暑さ” を楽しもう!
僕はいまから47年前の1964年から5年間、東京に住んだことがある。
そりゃもう東京の暑さは半端ではない。勤め先のデザイン事務所にはクーラーがついていたが、外よりは少し涼しい程度なのに、モーター音がやたらうるさくて、そっちの方が不快だった記憶がある。その後2年目からは慣れて「夏ってこんなもんでしょう!」と、暑さをを楽しむ余裕もできた。
今年の夏は日本全体が電力不足になりそうで、こうなったら暑さを楽しむテンションで、この夏を乗り切ろうではないか!“皆で渡れば怖くない”の、明るいノリで…(人間て、皆おなじであれば結構我慢できるんですよね、何でも…)
日本はバブルが弾けた後でも、なんだかんだと贅沢のエスカレートでやってきたのだから、このあたりで一昔前へ戻しましょうよ…1970年代あたりへ。
あっそう云えば!当時の東京の暑さと、新橋や有楽町の国鉄ガード下の焼きとり屋の煙と、店内の熱い空気を掻き回すだけの、涼しくない扇風機は東京名物だった。
2011年春/24号
いい広告が見えない社会は、寒い!
僕は車を運転しないから、徒歩とバスと地下鉄を乗り継いで都心に出る。
長年の仕事癖もあって、まずは地下鉄は車内の広告に目が向く。ここのところズーッと感じているのだが、車内広告に目を引きつけるものがない、心を引きつける表現がない。いい広告が見つからない。
意味のないヘッドラインがただただ騒ぎ立てているだけの…あろうことか、その同じポスターが車内に何枚も連なっているという…これが時代の空気なのだろうか?
かつての広告には、商品(会社=情報提供者)との暮らし方とかイメージとか、明日への夢(余計なお世話?)とかが、表現の中にさり気なく散りばめられたりしていて、広告が楽しかったし面白かった。いまはほとんどそれが無い。
日本の閉塞感は、広告が面白くないということにも象徴されているのでしょうね?広告主・媒体社・代理店・制作者もこのことを考え、広告の社会性を、いま一度肝に命じて欲しいものである。
2010年冬/23号
「僕も、ついに60になりましたよ!」
旧知の男と30年振り会った。
僕よりずっと若いと思い込んでいた彼は、去年60歳になったと自から言った。ついに60…
“ついに”という言葉には、還暦/定年/卒業/現役引退などの意味(人によっては、待ちに待った!もあるが)を含んで、人生ほぼ最後の大きな区切りとして、ついつい諸々考えさせられる。
たしかに僕も、5年前には心の中で少々淋しくそう思ったものだ。
なぜか国語辞典には「遂に(しまいに、とうとう)」の周辺に、「終に(…のすみか、…の別れ)」とか、「費える(乏しくなる、むだにすぎる)」とか、「潰える(壊れる、敗れる、だめになる)」などのフェードアウトっぽい意味の単語が多々登場するが、60歳も3年も過ぎれば自然に開き直って心地いいものだ。
しかしまぁ、急激に増えましたね、60歳台が。
2010年秋/22号
「錦秋」(きんしゅう)の季節になりました。
錦(にしき)の秋と書き、日本人が秋の紅葉の見事さを京の織物に例えた表現である。
ひと雨ごとに黄、橙、赤の色たちが、鮮やかさを主張する10月。これから野山は色の深みを増しながら、やがては燃えるような赤の頂点を最後に足早に白い冬を迎える。この地は二十四節季のそれぞれを色で楽しませてくれる、すばらしい北の郷である。
「色」についての昔話しに換わり…僕にとって50年前までの日本の昭和時代は、ほとんどがモノクロの記憶だ。日本の社会がカラーに変わっていったのはいつ頃だったのだろうか?記憶ではTVのカラー放送がはじまった頃とか…自分で撮った写真がカラーにプリントできるようになったとか…それまで2色刷りだったレコード・ジャケットがカラー印刷になったとか。
そうだ、ビートルズの彼らの写真がカラーになったのは1965年の「アイ・フイール・ファイン」や「ロックン・ロール・ミュージック」だから、本格的カラー時代は1967年頃からなのだろう。
そういえば…僕のアルバムには高校時代、1964年までのカラー写真は一枚も無い。
2010年夏/21号
午後のハンバーガー・ショップにて…
暑い日が続いている。
アイスコーヒーを一杯ということで、都心のハンバーガー・ショップへ立ち寄る。中若男女で満席状態。
僕の隣に制服姿の女子高校生2名が座った。ソフトクリームをなめつつキャッキャとひとしきりおしゃべりのあと、彼女たちは人目をはばからず一心不乱に化粧をはじめた。
その距離80cmほどなのだが、僕はまったく無視されていて…この場面ではいない存在のようだ。(僕は透明人間?)
まぁこの際だからよく観察してやろうと横目で居座る。ふたりは無言で真剣に協力しあいながら眉毛を整えアイシャドーを施す。あれこれ双方ともに化粧術をアドバイスしながら、最後にいま流行?の“つけまつげ”もバッチリ着けて。顔を整えて変身気分で満足げのふたりは、制服姿で目頭をパチパチさせながら席を立ち、街中へ消えた。
その間30分、彼女らはとても楽しそうだった。
2010年春/20号
「老化ですね…」
あれ?…寝違えたかな。
この冬のある朝、首が左側に60度しか回らず加えて微妙に首元が重痛い。少し様子をみようと2日ばかり放っておいた。しかし楽になるどころか、左手先の親指と人差し指の2本が、チリチリとシビれて出し肩も樵りだした。5日目頃には左肩全体がだる痛くなり、歩く姿は頭が前に突き出た感じになり、ガマンしきれず救急病院に駆け込む。
角度を変えて撮ったレントゲンの患部を示しつつ、医師はボソッと一言「老化ですね…」。首の頸椎の5番と6番目の、ここんところがちよっと減ってるようですから…病名は◯◯◯◯◯◯?(思い出せず)難しい病名だ。
「老化ですか…」。そういえば昔お婆さんが「わたしゃ歳とったから寒くなると神経痛が出てね~」といってたアレでしょう、間違いなく!!あぁ、俺もついに神経痛か~爺ちゃんはシビれてテケテケテケ~の笑い話しではなくなった。痛みはすっかり取れたが、指先にかすかなチリチリが残っている。桜の咲く頃にはこのチリチリも消えていることであろう…そう願いたい。アハハ…
みんなで涙しよう…
この夏7月18日に“サイモン&ガーファンクル”が、はじめて札幌にやってくる。
日本では1968年に映画「卒業」が公開され、彼らのヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」で、誰もがS&Gを知った。あれから41年か…みんな初期高齢者になっちまって(S&Gはそれぞれ67歳)…。
彼らデュオとしての本格的な活躍は1964年~70年(解散)だから偶然にもビートルズとピッタリ同じで、それは戦後生まれの僕たちの甘酸っぱい青春時代とピッタリと重なっている。
ビートルズを「動」とすれば、S&Gは「静」。
彼らの音楽は、この頃からの『なぜか?おセンチな時代の空気』を代弁していて、心に沁み込んでくる。~疲れ果て 自身を失ったとき 涙が瞳を濡らすとき……荒れた川に架かる橋のように この身を捧げよう~「明日に架ける橋」には(たぶん演る?と思う)恥ずかしがらずに、みんなで涙しよう。
この不景気風を吹き飛ばすには?
この一年間で起きた“世界と日本社会の不安事象”を時系列で並べてみると…原油の高騰/アメリカ発世界同時金融パニック/自動車不況/リストラ解雇/消費不況/新型インフル/政権交代など…
短期間に社会がガタガタした過去の事例は?というと、1978年頃の円高・第二次オイル・ショックと1996年前後のバブル崩壊後かな?
社会や会社の寿命<一個人もそうかも>が30年間周期とすれば、今から30年前の1980年前後が、私は特に気になっています。沈んだ空気が“急に明るくなった80年代初期”を挟んだ、1978~83年頃のテクノロジー革命・人口構成・サブカルチャーなどの、あの時代を構成した複合的要素を今と比較しつつ、10月中旬頃から番組(シリーズ)で紐解いてみようと思います。
あれ!道標がない。誰が引っこ抜いた?
ミレニアムだ!もうすぐ21世紀だ!と騒ぎ立てていた1999年4月にFM三角山放送局がスタートし、「Oldeis But Goodies」も開局から数えてほぼ11年、番組は約550回も続いてしまいました…。
ここのところ毎日があまりにも目まぐるしく変わっている現実は、ひとりの人間の成長の歩みとか将来予測のテンポを遥かに超えて、もう追いつけないほどのスピードで、四方八方どこかへ?向かっているようですね。国内経済では“大量生産&消費”を基盤とした社会システムも崩壊しているようだし…
いきなりですが、急に昔の冬の懐かしい情景が目に浮かびました。「コチコチに硬くなった自家製の大福餅が石炭ストーブの上でプーッと膨らんで、中のアンコがプチッと飛び出した、その餅喰いたい。」
そんな生活を、もう一度してみたいと思いませんか?
こんな感じの番組を、今年もよろしく!
1950年代は「保守的な大人の時代」だった。
戦前を昭和の第1期、戦中を第2期とすると…昭和の第3期は、終戦時から“もはや戦後ではない”と宣言された1955年(昭和35年)頃になろうか。この辺りから日本は、あれよあれよのうちにモノや生活が豊かになり、並行して国の姿や人心も急激に変わりはじめた。
初夏から…僕が担当している「オールディーズ…の昭和シリーズ」は、日本の時代形成に大きく影響した“1950年代初期のアメリカ”をひも解きながら、それにつられて日本に大きく影響を与えた文化事象、または映画や音楽などを探りながら、知らなかったり忘れかけていたエピソードを交叉させつつ、番組を構成しお届けする計画だ。
この1950年代のアメリカは、戦前・戦中から続く「大人(親たち)の世界」で、それは生真面目に社会秩序を守っていた最後の時代ともいえる。一転、次の1960年代は「子供たちの世界」へと急変していく!この時代転換がまた面白い。
戦後のドサクサ…
僕の番組「オールディーズ・バット・グッディーズ」では、今年2月から断続的に1940年代(戦前・戦中・戦後)を背景とした当時の日本とアメリカの関係、またはその時代の世界の情勢を踏まえながら、番組を構成しています。
4月中旬にはこのシリーズの回数が進んで、戦後の1945~47年(昭和20~22年)辺りになっていることでしょう。まさしく戦勝国アメリカと…特にアングロサクソンに翻弄?影響されつづけてきた近年日本の源流のイメージを、古柱の上の煤けたラジオから聞こえてきたアメリカン・ポップスと共に思い出してみましょう。ダイナ・ショア、ドリス・ディ、ローズマリー・クルーニー、ペリー・コモ、フランク・シナトラetc…そしてディズニー映画の数々。
終戦直後の札幌の街角では、アコーディオンやギターで「異国の丘」を弾いて小銭を稼いでいた白装束の傷痍軍人たち。街頭放送からは「センチメンタル・ジャーニー」が聞こえてきたりして…